報告・第4回講座セッション2-その1
玄番さんのお話
「木頭村から世界を考える 〜持続可能な暮らし方・社会とは〜」
第2セッションは玄番さんと国際協力に長く携わっている藤野校長の徹底対談として、「都会」から「田舎」に入っていった玄番さんの活動から考える国際協力、「日本」と「世界(途上国)」の関係性などを考えていきました。校長からの質問形式で始まったセッションは、だんだん本質に切り込んでいきます・・
【なぜ木頭村へ?】
連れ合いが住みたいという意向で木頭村へ移住。福井出身で、父親が工場長だった連れ居合いは、煙で体を悪くした。また、食にこだわりがあり、当時はまだ少なかった有機野菜が美味しく、市民農園を借りたりしていた。山村留学がきっかけで5年前から木頭村のリピーターとなった。だんだん大阪より木頭村のほうが友達は多くなった。
見通しは甘かったが、支出を落としたらいけるだろうと思っていた。都会の暮らしは、必要がないものが多い。買った服も着ない、家もそんなに高額で買う必要があるのか。
【田舎は不便か】
ほとんどのものが循環しているので、あまり移動する必要ない。村では、10万円台の収入があればやっていける。都会ではお金がないと生活できないので、不況で帰ってくる世代が多い。若い人は後ろめたさで帰ってきている。しかし、30万で仕事しかしないよりは、15万で地域と関わるほうがいい。地元の人も風を変えたいという気がある。田舎を歩けば、誰かが野菜をくれる。

【ダムに関心をもったきっかけ】朝日新聞に藤田市長のコラムが載っており、その写真に週間金曜日が写っていた。そんな村長がいるのかと驚いた。ダムがいいか悪いかという情報は与えられてなかったが、地域の人が反対しているのに作る意味はあるのかと思った。首長である村長も反対しているケースは珍しい。地元の土木事業者も車に「ダム反対」のワッペンが貼っている。村の人も子どものころから釣りをして川のありがたみを知っていた。下流の人は国からお金がたくさん投資されるし、製紙工場の圧力もありほしがっている。
【じじばば以下の世代は】
非常に重要な問題。高校から大学、20代が居ない。土木の日雇い、教員、郵便局、役場など。ゆず、農業1本は、一人だけ。食べていく若者は職場が限られている。
老人と若者の生活時間のずれがあるので、PTAが運営体験する炭小屋で体験など、土日に一緒にいるようにイベントを組んでいる。地元の人に向けての意味合いが強い。徳島新聞に載せてもらうとほとんどの村の人に伝わる。近所のおじいちゃんとならPTAの子も来る。暮らしぶりにじじばばと若い世代に共通するものはある。
【よそものの街の人がとびこもうとしたときは?】物理的にたくさん家がない。せっかくいきたい若者が問題を乗り越えるには、面倒くさいことをすると人のつながりができる。ペットを持っていて公営住宅に住めなかった現ゆうゆう館の館長は、地元の人とのつながりから空き家を見つけた。玄番さんも、おまつりごとには距離があったが、祭事担当になるとそれもなくなった。コミュニティに入れるチャンネルが必要。
【玄番さんの見る国際協力】(藤野)日本式の開発ではなく、ビルマ・インドネシアなどの途上国の彼らが持っているよさをいかすほうがいいと感じた。生きていく力は彼らのほうが持っているのではないか。日本は、炭焼きで稼げないが、都会で1時間バイトすれば800円もらえるしくみがそもそもおかしいのではないか。金がなくても生きられることを広めること、外から搾取しないことが国際協力ではないのか。そのために玄番さんがなにを伝えられるか?
(玄番さん)閉じた地球で経済成長は理論上ずっとできない。日本でだめなら、アジアへ出る。現代は札束をもった帝国主義。石油のように枯渇する資源に対して、思考停止している。早めに準備しなければいけない。沖縄で貨幣経済ではないコミュニティを作りたいという若者に出会った。農業も温暖化の影響で土作りを変えなくてはならない。分化したものをトータルでしていきたい。
(づつく)
posted by 関西NGO大学 at 14:49|
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